東大寺二月堂の舞台から、西空を俯瞰しますと、遠くに生駒山脈が見え絶景です。その山脈の手前、南北に走るのが矢田丘陵、丘陵の南端が平野に変身する一帯、これが斑鳩の里です。斑鳩と飛鳥地方は、我が国佛教が伝来した当時の遺跡が集まる地域になります。
しかし、飛鳥遺跡の大部分は失われているのです。それなのに、斑鳩の里は今も千三百年の長い歴史を留めています。そもそも斑鳩とは、鳥のイカルが語源です。イカルは、平地や低山の林に生息する留め鳥で、奈良公園の飛火野で見ることもしばしばあります。黄色くて太い嘴(くちばし)が特徴で、雀と鳩の中間ほどの大きさ、灰色と黒の斑(まだら)模様ゆえ、イカルと申しました。この鳥が周りに群がり棲むので、「斑鳩の里」と申すのです。推古天皇九年(六〇一)、聖徳太子が斑鳩宮を建立され、今の夢殿が故地になります。そして、太子は父親用明天皇の菩提寺に建立されたのが、法隆寺の草創期になるのです。
しかし、太子の没後この寺は焼け、白鳳時代に跡地へ再建されたのが、法隆寺西院伽藍になります。飛鳥様式を伝承するもので、法隆寺の五重塔とともに世界的な木造建築と注目され、我が国で最初の世界遺産として平成五年(一九九三)に登録されました。
昭和十九年(一九四四)、落雷で焼け、同五十年に、もとの飛鳥様式に復元された法輪寺の塔。太子の母親・穴穂部間人(あなほへのはしひと)皇女への中宮寺などなどが生きています。